オーストリア皇妃について、思いを馳せてみた。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
教務事務の加藤です。
気温が若干下がり、8月のあの猛暑時よりだいぶマシになりましたね。
マスク着用の夏だったからか、口のまわりにできたあせもと思われるものが治りません。
ビタミンCを毎日摂取しているのですが、あせもには効かないのでしょうか。。。
早く涼しくなってほしいものです。
さて、9月に入って「何かあった気がするな・・・」とカレンダーを眺めておりましたら。
あっ!
9月10日は私が好きなエリザベート皇妃の命日だと気づきました。
ブログで何度か登場させましたが、改めてエリザベート皇妃についてお話します。
エリザベートは、正式名を「エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ」といいまして、名前から想像できるように、バイエルンという現在のドイツで12月24日クリスマスイブに生まれました。
父親であるマクシミリアン公爵は、当時の貴族としてはなかなか破天荒なタイプだったようで、格式ばったしきたりを嫌い、旅や狩りを愛し、変装して町へ遊びにいっちゃうような自由人。
その自由な気質をエリザベートはだいぶ受け継いだようで、自由気ままにのびのびと子ども時代を過ごしました。
そんな中、姉ヘレーネのお見合い相手であるオーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフが、エリザベートに一目ぼれして求婚したからさぁ大変!
家族や親戚中で微妙な空気が流れたことでしょう。
フランツ・ヨーゼフは母親の言うことをきちんと聞くタイプだったそうですが、大反対する母親に反発してエリザベートと結婚します。
エリザベートはお妃教育を受けることになりますが、しきたりの多い宮廷は堅苦しく不自由で、心身共に参っていきます。
自由を愛するエリザベートにとって、宮廷はかご、自分自身は閉じ込められた鳥なのでしょう。
そんな彼女の心を救ったのが、旅です。
ウィーンを離れると体調がよくなるということで、療養を理由に様々なところへ旅行していました。
公務はほったらかしで。
そして彼女は、当時のヨーロッパ宮廷一と言われた美貌とスタイルを維持するために力とお金を注ぎます。
侍女を連れて何時間もウォーキングをしたり、少しでも体重が増えれば食事制限をしたりと何かにとり憑かれたような極端なやり方でした。
でも食事制限をするわりに甘いものが大好きで、アイスクリームやスミレの砂糖漬け、ザッハトルテを食べていたとか。
また自慢のくるぶしまである長い髪を、侍女に3時間かけて黄身とコニャックを混ぜたもので丁寧に洗わせて、髪が1本でも抜けたら侍女を平手打ちにするほどだったとか。
一方、そんな妻を見て夫はどうしたかというと・・・
フランツ・ヨーゼフは惜しみなく、彼女にお金を使いました。(自分自身は質素倹約して)
自由奔放であるがゆえに宮廷文化に馴染めず、姑であるゾフィーとの確執を招き、幼い娘を病気で、そして皇太子である息子を拳銃自殺で亡くしと、辛い経験をしてきました。
そんな波乱万丈なエリザベートの最期はあっけなく、旅で訪れていたスイスで暗殺され、人生の幕を下ろしました。
ウィーンの「シシィ博物館」でエリザベートの部屋を見たのですが、美しい調度品の中に、ぶら下がり健康器のような謎の機器が並んでいました。
その様はシュールでしたが、日々、この機器を使用してスタイル維持をしていたわけです。
エリザベートのやり方が正しいのかどうかは置いておいて、自分の理想を掲げてそれに向かって努力を惜しまない、そんなエリザベートに感服しています。
また、完全に皇妃には向いていない性格だったのでしょう。
宮廷に馴染めないその寂しさと心の不安定さを、自分磨きと旅をすることで精神を保っていたのだと思います。
私も旅が好きなので、その解放感は理解できます。(私の中でも、旅は日常からの逃避だと認識している)
とはいえ、なかなか強烈な性格をしているエリザベートは、ここに載せるのをためらったエピソードがまだまだあります。(ここではだいぶ端折りましたし、言葉を選びました)
このぶっとんだところも私は気に入っていますし、普通のお姫様ではないところが、もしかしたら現在も人気の秘密なのかもしれません。(オーストリアにいけば、エリザベートの顔がついたお土産があちらこちらにあります)
エリザベートの本も出版されていますので、その強烈な個性をぜひ調べてみてください。
「なにそれ!あり得ない」と思うか、私のように興味の対象になるか、どちらでしょうか。
↓左はスミレの砂糖漬けが入っていた箱、右はエリザベートマグネット(普段はうちの冷蔵庫に張り付いている)