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ご卒業おめでとうございます。最後にエールを書きますね!!

こんにちは、教務部長の西本です。

2021年3月15日に名古屋東急ホテルにて卒業式が行われました。

昨年は学内にて分散型の卒業式、今年はホテル会場で開催できましたが、保護者の皆様や講師の皆様はオンラインで視聴頂く形となりました。

三密を避けて開催をした為、学生君達と話す時間はほぼ無くてメッセージをお伝えすることも今回は出来ませんでした。

 

今日はこの場を借りて、卒業生くん達にメッセージを送りたいと思います。

 

ここを常にチェックして頂いている方達はご存知だと思いますが、私は現在51歳です。

 

3人の子持ちで子供達は大学生(次男・長女)・照明エンジニア(長男)です。

高校卒業後に大学進学し、1年で中退、社会人を経て22歳で姉妹校の大阪OSMにベースコース入学しました。

自分自身も卒業生として、色々な経験をしてきたので、授業では語らない先輩からのアドバイスを伝えたいと思います。

 

まず、卒業式を迎えたからといっても特にプロミュージシャンを目指す学生君はまだまだ暗中模索で不安一杯だと思います。

 

僕自身も卒業したときは全くデビューも何も決まっていなくて超不安でした。

留学から帰国して、当時(1994年)はインターネットなどないので、帰国したら浦島太郎状態で、まず日本の文化を思い出すことからスタートです。

デビューとか以前に日本での生活を元に戻さなければ!で一生懸命だったと思います。

 

当時の担任に「研究生で残れますか?」と質問したら

「外に出て仕事を探して取るのが一番の勉強じゃろ!」と言われて追い出されました(多少誇張して書いていますよ…..)

 

帰国後に卒業式を迎えて、突然社会に飛び出したので、本当に不安だったことを覚えています。

そもそも茶髪ロン毛でピアスだらけのロッカーにバイトなんてありません(汗)

当時は「短髪で普通の格好するなんてロックミュージシャンとして駄目だ!」と思っていましたからね。

右 23才の僕
右 23才の僕

 

まず貧乏すぎて家賃が払えないので、学校にルームメイト募集をしてヴォーカルコースの男子と同居することにしました。

別に大親友だったとかではなく、たまたま名乗り出た子とです(笑)

 

次にルックス的にヤバすぎて仕事が無いので、友達がはじめた路上弁当屋に協力をして、一緒にビジネス街で弁当売りをしました。

当時日給3,000円のみで生活していました(笑)

毎日、売れ残りの腐りかけ弁当を食べて生きていました💧

パンの耳を食べて生きていくという比喩はよく使いますが、それくらい極貧生活でした。

ただ、僕は普通に働けるようなルックスに戻した時点で負けだと思って耐えていましたよ。

 

母校に毎日のように弁当を持っていって先生たちに「弁当買ってください。仕事ください」を言う毎日でした。

あまりに不憫な僕の為に弁当を買ってくれた恩師に感謝しか無いです。

 

当時、携帯電話なんてミュージシャンは99%持っていなかった時代に僕は携帯を大枚をはたいて買いました。

そして、学校にパソコンも常備されていなかった時代に自分でMACをフルセットで揃えました。

僕の営業が功を奏して学校で少しだけ講師の仕事をもらえ始めると

「西本! これを家に帰ってカラープリントしてきてくれ!」というようなお願いもありました。

バイクでぶっ飛ばして家に帰って自宅でカラープリントして学校へ戻った。そんな時代です。

 

そんなことで多少は評価されたのか講師の仕事が増え、ある時に学校の職員にという話も来ました。

ロン毛で金髪でピアスだらけの自分にです(笑) まじで大丈夫かと思いました。

当時はヘヴィーメタルバンドでツアーもしていたし、有名楽器メーカーのエンドーサーにもなり、外人バーで演奏したりとやっと音楽でギリギリ生きて行けている感があった時期です。

 

僕自身はライブも好きなんですが、もともとコンピューターやガジェット類が大好きで、ISDNとかも無いパソコン通信(うちの職員ですら知らないだろう)の時代からテクノロジーには敏感でした。

超アナログだった学校の仕事にテクノロジー感覚を入れたくて職員になったんですよ。

その後もメタルバンドで海外ツアーしたり学校と並行してバンド活動もしていましたがね。

あの頃は死ぬほど働いたと思います。

当時の学校には職員になってもパソコン支給などないので、自分で超高価なMacBookとカラープリンターを自費で持ち込んで仕事しました。

今では考えられないでしょう? 自費でパソコンとプリンターを職場に持ち込んでいたんですよ!!

 

当時の成績表は僕が自分でプログラムで書いたものでした。
何でもかんでも自前のコンピュータで作って、本当に当時は大変でした。

 

おっと僕の昔話で連載できそうなので、このあたりでアドバイスに入ります。

 

 

まず、卒業生は今日から自営業の社長という認識をもちましょう。

どう思おうと、プロを目指していて起業したのですから、あなたは自分という商品を売る会社の社長なのです。

 

例えばミュージシャンとしてプロを目指していて

今日から何をやっていいかわからない人へ↓

● 毎日同じ時間に起きること。だらだら昼までとか絶対だめ。規則正しい生活がキモ。

● 毎日のルーティーンを作りましょう。営業日と休暇をはっきりと区別しておく。

 ・SNSを更新する。日記を書く。

 ・作曲する・作詞する

 ・ホームページを作る、内容を濃く更新していく。

 ・YouTubeチャンネルを作り、弾いてみたでも機材レビューでも何でもいいので投稿

● お金の計算をすること。簡易的な家計簿を作る。
● 毎月、音楽のみで稼ぐ目標金額を作ること。

 

僕の例え話でよく出す、あなたがラーメン屋を開業したと置き換えたらで物事を今から考えてください。

● あなたにとってラーメンは何に当たりますか?

● あなたのラーメンは金を取れるだけの味ですか?

● 開業する為の物件を探しましょう。

● 開業に必要な資金を銀行に融資してもらいましょう。

● 開業までのスケジュールを作りましょう。

● お金を返していく、自分が生きていくための事業計画を作りましょう。

● 何年で借金も返して生活出来るようになっていますか?

● 上記を遂行するために今日から何をする??

 

こういうことがロジカルに考えられないとプロにはなりにくいでしょう。

 

たまたまバンドでデビュー出来るかもしれませんが、あなたが契約できたプロダクションや事務所というのは上記のようなことを考えているプロ集団です。

事務所に入ったら、そういうことを肩代わりしてくれる代わりにあなたが生む利益から手数料を引いていくわけですよ。(タダではないということです。)

 

事務所が決まっていないなら、自分でやるしかありません。

「そういう状況になったら、考えようっ」て思ったあなたは失敗の確率が高いです。

なぜなら、計画して進まないと、日々のバイトのほうが生業になっていく確率か高いからです。

人はお給料を貰えると嬉しいし、仕事を評価されると嬉しい。そういう生き物です。

なので、バイトで評価されすぎるとバイトのほうにウエイトが重くなって、音楽はやらなくなる確率が高いです。

 

僕は当時、バイトで稼ぎすぎるとミュージシャンとして駄目になると思って、バイトは日に3000円で十分と考えていました。

後は絶対に音楽で稼ぐと目標にしていました。

そのハングリー精神は結果的に良かったと思います。

 

まずアーティストとして、ラーメンに例えるなら、金を取れる美味いラーメンが作れることがスタートラインです。

とりあえず、今日何もすることがない人はとにかく練習!

 

次に、ミュージシャンは無店舗で開業するわけです。

だったら、どこであなたのことを人は知るのですか?

最低限、見栄えの良いHPとSNSを作りましょう。

お金を掛けてでも、髪型から衣装、メイクまでをプロ然としたものでアーティスト写真を撮影してください。

その写真をSNSで使いましょう。

素人くさいSNSのアイコンはあなたが行かないような胡散臭い飲食店と一緒です。

プロのSNSのアー写を見て参考にしてください。

 

商品と店舗(HP・SNS)が出来たら、宣伝するしかないですよね。

 

皆さんがいくら超上手くても、SNSとHPがプロ仕様でも営業活動をしないと仕事は来ません。

ラーメン屋を路地裏に作ったならば、宣伝無しで人はきますか?

宣伝とは、今の時代でいうとYouTubeをはじめとした動画投稿・ライブ配信です。

 

今どきを想像してください。

人は動画サイトで物事をサーチしています。

あなたがベーシストを欲していたとしてGoogleで「ベーシスト 名古屋 求人」とかで探さないでしょう。

SNSで見つけるか、動画サイトでしょう。または噂とか紹介ですよね。

もしもあなたの名前でYouTube検索して出てこなければ、存在してないと同じです。

 

卒業直後にとてもリアルなことを書いていますが、ミュージシャンだから特別な仕事ではないということです。

 

需要と供給

欲しい人にモノを売る

あなた自身が自分の商品は何かを理解すること。

 

商品を開発し、毎日ブラッシュアップして良い商品に成長させる。

それを欲しい人に売る。

シンプルにこれだけです。

 

ベーシストの私から言うと、ベースをうまくなることは別に趣味の一般人でも同じこと。

趣味人で超絶に上手い人なんて一杯います。

ただ、上手ければプロになるわけではありません。

 

欲しい人に対して、コンスタント(👈これ重要)に有償でモノ(音楽・演奏力・作曲)を提供出来れば食えます。

逆に自分の能力を安売りしたら、需要が多くても食えません。

 

人は食っていく・生きていくということ、特に親になれば子を育てる為に稼ぐということを考えるようになります。

それが音楽ならば言うことはないでしょう。

ただ、僕自身は一時は音楽をスパッと辞めてバイク業界で働いたし、自分でライブハウスを作って経営もした。

今はたこ焼き屋さんも家業としてやっている。

生きていくにはタイミングを見極める力も大切です。

 

51才になって感じるのは、僕は依然として

音楽が大好き!ベースなら毎日触っていられる!!

この感覚が高校生時代から全く冷めていないこと。

好きが持続していることが才能なのかもしれません。

 

 

今回は難しいことも書きましたが、シンプルに自分のやっていることを誇りに思って続けること。

好きなことを一生懸命したら必ず評価してくれる人が現れます。

 

これからバイトも必要だし、生活に必死になる毎日でしょう。

でも趣味や好きなことだったら、空いた時間すべて費やしてでも皆さんならやるでしょう。

 

難しいことを考えられる人は僕がお勧めしたことを実行してください。

 

ピンと来ない人はまずは歌を毎日歌う、歌詞や曲を書く、楽器を弾くことを止めないこと。

 

そうすれば何か光が見えてくるはずです。

そして、デビューだけが人生のゴールではありません。

 

何か悩んだら、僕のSNSなんてすぐに見つけられるので、メッセージください。

 

全力で開業コンサルティングをしますよ。

なんで、在学中にしなかったって?

人は必要になった時にしか学ばないからです。

 

恐らく、今回書いた意味が理解出来る日が近いうちに来ます。

ぜひ、迷ったら、また学校を訪ねてください。

 

これからも卒業生が安心して帰ってこられる学校にするために邁進していきます。

 

まずは卒業、おめでとう。

 

教務部長の西本がお届けしました。
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  • エントリー資格

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    した方